Wフェイトの(ノ∀`)アチャー の方なの。


アニメは偽嘘(うそ)で出来ている


血潮は作画で 心は編集


幾たびの修羅場を越えてヤシガニ


ただの一度も黒字はなく


ただの一度も理解されない


彼の者は常に独り 偽嘘の丘で評判に酔う


故に、生涯に意味はなく


そのアニメはきっと偽嘘で出来ていた



劇場版「Fate / stay night - UNLIMITED BLADE WORKS」(以下「UBW」)観てきたぜ。


観ている途中で、これは劇場版らんま×ジャンプ映画なんだというスイッチを切り替えて観出すと結構面白く観れました。


コクトーさんが、原作に忠実すぎて大味な展開になってしまったと仰っておりましたが、そのとおりだと思う。


しかし、この映画はテーマ(偽りが真を貫く)に苦戦して、テーマに最後に救われたのだ。


ぶつ切り感満載の構成の堆積無しに、士郎のUBWカタルシスは有り得なかったと思わせたのだから。



ちなみに、2010年初のマッドシネマとも呼んで挙げて下さいねw(士郎の怪我の直りに関する描写のはしょりとか、言峰とランサーの「カビ臭い城」の死ね死ねコントとかw)




アニメは偽嘘(うそ)で出来ている


血潮は作画で 心は編集


幾たびの修羅場を越えてヤシガニ


ただの一度も黒字はなく


ただの一度も理解されない


担い手はここに孤り


偽嘘の丘で偽嘘をつく


ならば我が生涯に意味は不要ず


このアニメは無限の偽嘘で出来ていた

「法子考察(草)」

空の境界」 第七章 「殺人考察(下)」を観た。
この映画の見所は、上映のために尽くされた「闇」の表現と、巷のワイドショーが騒いでる「草」に関する描写だろう。
「闇」の表現に関しては、「ヱヴァ」のように別メディアでも映えるものではなく、昨日のid:mattuneさんが言っていた「ロマン」に殉ずるものだ。キャラクターも作り手の努力も何もかもが、息苦しく妖しく時に優しい「闇」へと投げ出されている。「闇」が深ければ光もまた際だつわけで、館内の非常灯が目につくほど。
原作でも話の種となるドラッグだが、積極的に表現に取り入れており、時期も相まって自分の脳内でキマってしまうシーンがちらほらw
肉食系と草系のハイブリッド美男子・里緒と、草食系男子もとい漆黒系男子幹也のバトルは劇場版ガンダムSEEDといったところか。

「忘却録音」なんて……

「宗蓮さん」に付き合って、「忘却録音」を再観賞。
チェンジリング」を観たあとでは、話にならない。
プロジェクターの投射の弱さよりも…
モンタージュ」は大事だよー
前回は、式がパジャマを着ただけで逆上せてしまったのかww
前回の感想は「忘却」したいー

「兄萌えVS百合」

ちょっと仕切り直して、「忘却録音」についてメモ書き。

●王路美紗夜@水樹奈々玄霧皐月置鮎龍太郎のキャラ付けが、十川誠志的(平松正樹氏は「あとづけ」という反則技を意識的に使っている?)。
●ラストの黒桐兄妹が見上げた星空が、『幽遊白書』初代ED的。
●つまり、アニメ映画「忘却録音」の主成分はstudioぴえろということだ(えー、なんだってー)。
●今までのシリーズは「ジャパニメーション」の再構築。
●今回は未成年(あと成人になり損ねた人たちwww)向き「アニメ」の再構築。
●鮮花は「禁忌」好きらしいが、百合はダメらしい(式にツンツンしていたけど)。

「驚愕録音」

fairytale(初回生産限定盤)(DVD付)

fairytale(初回生産限定盤)(DVD付)

第六章以前の感想
「仰視風景」 - 赦されざるもの
『宗蓮高察(笑)』 - 赦されざるもの
「追憶残留」 - 赦されざるもの
「我慢の道」 - 赦されざるもの
「不純螺旋」……あるいは「希望は殺害(されたい)、黒桐鮮花をひっぱたたきたい!パッションのためのノート」(BY AS6)。 - 赦されざるもの


「空の兄弟」の「宗蓮さん」は根源の渦(都心の大学院というところにあるらしい)を求めて、劇場版「空の境界」鑑賞から一時離脱。二人で朝一の「忘却録音」鑑賞となった。


内容は原作既読者の「忘却」を指摘する、大胆なアレンジが随所に施されており……
というか、あざとい鮮花による、鮮花ワンマンショー(嗤)に大改造されていたwww
黒桐鮮花さんは冒頭から、カメラ目線でウインクするとひたすら自己主張の激しい出ずっぱりで(それゆえにスベりまくり)、観客を困惑させながら、終盤、KOFばりの超必殺技でユリ科の妖精の親玉を破壊し、「あとづけ」よければすべてよし、で(これまでの)物語なんてどうだっていいと思わせる暴挙を成し遂げました。
「あとづけ」サクサク♪ へへっ、萌えたろ? と勝利ボイスを心の中で叫んでるに違いない鮮花さんですが、「オレ」はそんな彼女に微塵も「萌え」ませんでした。つーか、冒頭はこれまでの劇場版レイプしやがってー、で怒りがこみ上げた(と観てる時マジで思いました)。
そんな彼女がただの「萌えないゴミ」にならなかったのは、両儀式を礼園女学院に呼んだ、という一点に尽きる(笑)
鮮花が空回りすればするほど、式(回想で出てきた織も)が可愛く見えて仕方ない。パジャマ姿の式で、ご飯三合食べられます。これまでのシリーズで最も「萌え」る式(爆)。「萌え」のわかるツートップ(三浦貴博、小笠原篤)はあくまで主役は両儀式であることを忘れていなかった、ということだ。

○第一章「俯瞰風景」……「着る=背負う→生きる/死」という説話/青、赤、その間の黄色を「見ること」


〈1〉「着る=背負う→生きる/死」という説話

再鑑賞して、「着る=背負う→生きる/死」という、映画的説話を第一章の時点で確立していたことに気づき驚いてしまった。
劇中の両儀式は「着る」女として描かれている(*1)。
特に、黒桐幹也の魂を奪い返すことを決意すると、デフォルトの青い和服の上に、トレードマークの赤い革ジャンを羽織り、さらに巫条ビルに現れたときには黄色のレインコートを重ね着している(「普通」に考えると傘でもいいはずなのに)一連のシークエンスは見逃してはならない。
劇中で「動かす魂がなければただの器でしかない」「我々は背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道で、罪を背負うべきだ」という蒼崎橙子の印象的な台詞があるが、両儀式は「選んだ道」にあわせて服を「着る」、つまり両儀式の「着る」という行為は「罪を背負う」こと=〈「動かす魂」を持つこと〉と同義だ。
ただし、「罪を背負う」ことは容易ではない。
巫条霧絵は「霊体の死」を実体で「着る」ように実感しようして、ビルから飛び降り、死んだ。
両儀式もまた、第二章以降で明らかとなるが、男性人格の「織」を失っている。
彼女は「オレ」という一人称を口にすることで、「織」を「着る」。
そして、同時に「死」を「背負う」ことで、「空の器」から峻別している。
劇場版『空の境界』において「着る」という行為は重い、しかし「着る」ことを描くことで「生きる/死」を語ることを可能にしている。

〈2〉青、赤、その間の黄色を「見ること」
「着る」という映画的説話のほかに、劇中では、青、赤、そして黄色の三色が映画的説話を持って使われている。
第一章の監督:あおきえい の演出が「直死の魔眼」の「見る力」を円形のもので象徴させていく中で(「見ること」の説話)、信号機が出てくるが、そのイメージの連想からその三色が映画の基調となったかもしれない。
ここで〈1〉のことを踏まえつつ、「見ること」の説話と共に、三色の説話を考えてみる。
両儀式は「着る」女であり、「見る」女でもある。
巫条霧絵は、「青」の和服を「着る」両儀式と呼応する「青」い髪をもち、存在の危うさという点で両儀式と似たものを持っていたが、終盤まで「見ない」女として、式に立ちはだかり、式の「見る」力によって倒されてしまう。
霧絵は月=「黄色」(親近の対象だが「見て」いない)に背に、自殺した女子高生たちのがらんどうの魂と共に浮遊していたが、自殺体=赤を排除する「見ない」暴力を無自覚に振りかざしていた。
そして、「青」の虹彩で「黄色」を「見る」視点を担う黒桐幹也(映画冒頭の黄昏色の「とんぼの夢」や、ラスト前の踏切で式と会話するシーンは黒桐の視点だ)を「見ない」暴力に巻き込み、「見ること」=魂を奪われる。
「着る」ことと同様に「見ること」の大切さを知っていた両儀式は、黒桐の視点=魂を取り返すために、黄色のレインコートを着て距離を詰め(第一の戦闘は、「黄色」い立ち入り禁止のテープを切ってしまったために、霧絵を「見る」ことに失敗した反省から?)、霧絵が「見ない」暴力で排除した赤、「見よう」としなかった霧絵自身の姿に似た「青」を纏って、「見ない」暴力にそれらを見せつけることで対峙する。
両儀式の「見る」力で貫かれた霧絵は、「見ない」暴力で排除してきたものを、見つめなおす道を選び(自殺直前の月のインサートは「見ること」=魂を取り戻したことを暗示する)、笑みを浮かべるほどの充実を迎えて自殺する。
戦いを終えた式の黒桐とのやり取り(踏切、式のアパート)は、「青、赤、黄色」の三色の調和(*2)が感じ取れる(驚くべきは、ラストのハーゲンダッツ(赤)、両儀式の服(青)、黒桐幹也の夢(黄)を調和させる切り返し)。
「着る」という行為は重いと〈1〉で述べたが、「見ること」もまた重みのある行為だ。
空の境界』の登場人物たちは、「着る」・「見ること」を通して「空の器」に「動かす魂」を宿していく。
ちなみに、「空の器」に「動かす魂」を宿すことは、アニメを作る・見る行為と似ている。

(*1)劇場版『空の境界』のビジュアル・オマージュの一つに押井守の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』が挙げられるが、その『攻殻』に出てくる主人公:草薙素子は、「着る」女の両儀式に対して、「脱ぐ」女として描かれている。映画冒頭から、全裸に限りなく近い光学迷彩のスキンの出で立ちで登場し、裸の女として彼女の義体が製造されるシークエンスがあり、戦うたびに光学迷彩のスキンの姿となる。そして、多脚戦車との戦い・人形使いとの接続の果てに頭以下の身体を失う。戦闘が終わった素子にジャンパーを羽織らせ、第二の義体坂本真綾が第二の身体のデフォルトの声であったことは、今から見れば予言めいた因縁を感じる)を用意したバトーは、結局彼女の「脱ぐ」運動を止めることはできなかった。

(*2)蒼崎橙子は、三色の調和、「着る」・「見ること」に最も自覚的な存在として描かれている。

劇場版『空の境界』第一、二、三章 再鑑賞メモ(記述中)

劇場版「空の境界」 俯瞰風景 【通常版】 [DVD]

劇場版「空の境界」 俯瞰風景 【通常版】 [DVD]

劇場版「空の境界」 殺人考察(前) 【通常版】 [DVD]

劇場版「空の境界」 殺人考察(前) 【通常版】 [DVD]

劇場版「空の境界」 痛覚残留 【通常版】 [DVD]

劇場版「空の境界」 痛覚残留 【通常版】 [DVD]

某学校の教室で、「空の兄弟」とその友人たちで、劇場版『空の境界』第一、二、三章を一挙観賞。
わざわざ上映のために、「空の兄弟」たちは各章(「オレ」は二章)を買ったけど、一挙観賞しただけで元手が取れた気分になった。
今回、再鑑賞して気づいたことを各章ごとに記しておく。