機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(なぜ複数形?)

ブックオフで「富野由悠季」小説を発掘。
小説の書き手(「小説家」と呼ぶには忍びない)としては黒歴史になりつつある、御大(笑)。
機動戦士ガンダム』から、創作活動一時停止の『Vガンダム』まで、テレビアニメ製作と小説を平行して量産している。
単行本化された小説は、現時点で60冊を越える!(宇野常寛は殆ど読破したらしい)
どうやって激務の中、執筆していたかよくわからない(大塚英志の仕事量もよくわからんが)。
まぁ、ガンダムの前身となる企画『ガンボーイ』の資料の抜粋を、『ガンダムの現場から』で読んだことがあって、当時から御大の過剰な世界観を「言葉」で構築していたことを痛感するのだが。


本編


御大、いきなり「序」で、作品の講談を始める(笑)。
アニメと違って、人のフィルターが入っていない分、直で御大の発話で、御大の人生観がナレーションとなる(笑)。
『ガンボーイ』、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』にもこんな「序」があります(笑)。
御大のエクリに付き合うことは、この、見方によっては御大の「ウザい」人生観と付き合うことです(笑)。
さて、本編を読み進めると、戦いの情景がさっぱりと判らない(笑)
本人も自覚しているのか、終盤に<ドキューン!まさにモビルスーツのプロレスである。/モビルスーツ史上、初めての長期格闘戦である>とサービス、サービスぅ(葛城ミサト)なノリ突込みをする(笑)
戦闘だけでなく、場面転換が読み取りにくい。
<小生(御大)の思い>は複雑怪奇だということを<知ってもらいたかった>のだろうか(笑)
冗談はそこそこにして、御大は自分の創作物に対して「人」を描くのではなく「人と人」=「人間」が対面した時の切り返しに重点を置いている。
「人間」を描くためなら、あらゆるバリエーションの対面を積み重ね、具体的=観念的な描写を犠牲にする。
そのために、アニメを事前に観ていないと(観ていても)、「人間」をテクストの中で確認できない事態が発生するのだが(涙)
ミライさんの放浪とか短いけど結構面白いシーンがあって、大変もったいない。
非常に読みにくいのだが、なし崩しに読んでいくので二時間弱で読めるし(笑)、アニメの方を観ている方・トミノスキーな人にはお勧めの、至玉の名=迷台詞<「お前なんかっ、死んじゃえ! だから、若い男は嫌いなんだ!」等>もありますし、ブックオフで見かけたら拾ってやってください(笑)。

追記
『ベルチル』のベルトーチカアムロって、ミサトさんと加持さんだな。