ACな「女の子」とそれを崇拝する中二坊と高二坊たちのネガティブハッピーなオモイデ病についての一考。そんな些細でエグイトラウマをさらりと適当に雑記にしてみる、ギリギリの大三坊。

成馬零一さんが『はて☆なりま』で、ガルシアの首 改めDJ ANIKIとのポッドキャスト対談を2月9日〜13日の日記でテキストとしてUPしていた。
中・高を00年代前半に通過した私にとって、五分で坂本真綾を纏められるとは思えない(笑)。まぁ、いいけど〜
殺伐として失われた時代とも称される90年代。そんな中で世に現れたポスト・アイドルをサブカル・オタクな趣味を持つ昭和終期に生れ落ちた私たちは、どうしようもなく憎み愛でるサド根性と、そんな女性に「気持ち悪い」と潜在的に言われたいマゾ根性を今でも持ち続けなければならない宿命を業として背負っていることを再認識(笑)。

さて、90年代のACな「女の子」の特徴(「男の子」の願望)について、成馬さんの90年代「青春」論を掻い摘みつつ纏めてみる。


○視覚印象
 黒髪で色白。ゴシックではなくエスニック系。童顔。


○思想=ライフスタイル
 どこにでも行ける音楽(=私もとい"僕") by 新居昭乃
 アメリカでなくヨーロッパで自然体(笑)
 生まれた場所を大事にする、ロハスなオリエンタル・ガールでいたい。

○雰囲気(裏設定)
 こんな中学・高校のクラスメイトと地元にいる自分がやだでやだで、出てきたんだよ。(でも、私のどろどろした部分を受け止めてくれたプロデューサーと周りの人々に、ファンに有難う。というのが通例、そしてファンをずるずる引き込む。)
 自然体でいるために、理系の嗜好性(エコロジーとかね)をもつ。
 セックスじゃなくて、何人もの男を殺してきた経験がある感じ。
 男子20人・女子20人のクラスで4から8番目ぐらいの「女の子」。


こういうACな「女の子」が世に出た(「男の子」が其れを欲した)背景は、男女雇用機会均等法とか、冷戦の終焉・紛争・不景気・テロ・災害が昭和と平成との間で一気に押し寄せたことに関係があるのでしょうけど。
昭和と平成の間の揺らぎはかなり重要で、ACな「女の子」は「"喪失と癒し"の物語」が用意されているけど、つんく♂プロデュースに代表されるロリなアイドルたちはそれが欠けている。つんく♂さんは平成生まれを意識したプロデュースを早期に始めていたことに関わると思うのだが。

いや〜、さらりと纏まらないものですね(苦笑)