廣田さんウォッチャーとしては、そろそろ「メガゾーン23」を観なければならない。

(この話題は書いてて収拾がつかないのでうっちゃってます。)

●年始は、『ホワイトアルバム*1や御大による新作『源氏物語千年紀』で、<元祖天才ケータイ小説家「統」>こと出崎統「再考(と同時に最高)」の気運がアニメ道を志す人たちの間で高まりつつありますね。

●アニメ道を志すには半端者すぎる私ですが、そんな感慨をふけつつ、それとは別に、アニメ『ライドバック』を観て思うことがありました。端的に言いますと、「メガゾーン23」+「地球少女アルジュナ」でアニメ「ライドバック」ができている、と漠然と思ったわけです。

●「メガゾーン23」と「ライドバック」の共通点は、「可変バイク」と「主人公がそれに乗ったがために統治の真相を知り、抗争に巻き込まれてしまう」というところ。「メガゾーン23」の現物を観ていないのでこれ以上のことが言えません(おい

●「アルジュナ」 とアニメ「ライドバック」の共通点は、うえだゆうじボイスのキャラが本来男の子が嗜好するものを女の子にレイプ的(クラウザー@うえだ以下略さん的な意味で)に押しつけちゃう(笑)ことで彼女に新たな体=視覚を与えて、物語が始動するところ。特権的肉体(BY唐十郎)を得た彼女たちが、よその出来事をパンピーの生活に徐々に浸食させながら、「こことよそ」を巡って特権的肉体を行使するところとか。個人的に重要だと思うのは、作り手が、3DCGと手書きの技術の合わせ技の可能性を見たくてアニメ作っているところとか。

●「メガゾーン23」と「アルジュナ」の関係は、板野一郎つながり*2www それだけじゃなくて、「メガゾーン23」の精神(俺たち都会に洗脳されてねぇ?→やってやるぜ(BY矢尾一樹)な問題設定と、「メガゾーン part2」の空き缶・スプラッター・セックス描写の書き込みに見られる「リアルさ」の追求。)を、「アルジュナ」は変奏して継承しているんじゃないか? 仮説の域にすぎないが、1960年代生まれの、特に「マクロスでアニメ界で活躍、の世代」は「メガゾーン23」を土台にして、アニメを作っている節がある*3

●実は、今回のエントリーを書いた動機は、アニメ『ライドバック』が『アルジュナ』を土台している、とはどうゆうことかを言いたいがためでした。『アルジュナ』はアニメがデジタル工程に移行する過渡期に、デジタル制作アニメ表現の最先端を地上波テレビシリーズで提示しました*4。世界初のハイビジョン対応アニメは伊達じゃない!ということで、デジタル制作の取組りが早かったはずの東映サンライズのデジタル制作作品の画面精度を数倍上回っていました*5。でも『アルジュナ』の内容はアレだよね*6… 視聴者にとってはそんな感想が重要だったりするが、アニメ制作者にとっては、洗練されたデジタル制作アニメ表現をいかに物にするかが重要だった…… 洗練されたデジタル制作アニメの理想形は、その後ボンズが提示して*7、シャフト・京アニufotable等が「こだわり」で突き抜けても大丈夫な時代となったわけです。

●あれ、『ライドバック』と『アルジュナ』の話をするつもりが、「デジタル制作アニメ」のイニシアチブを巡る話にスライドしてしまった。雑文とはいえ、無責任なエントリーになってしまい申し訳ないっす。

*1:ペンシルアニメーション風のパートBY吉成鋼の使い方とか。あと、作中人物の「河島はるか」の、テニスプレイヤーとして期待されていたそうだが、兄の死によってやめてしまった・・・この設定、「エースをねらえ!」の岡ひろみを思い出しませんか?「エース」、取分け「エース2」では、ひろみと宗像の電話でのやり取りが見せ場だよね。

*2:板野は「アルジュナ」で3DCGのバイクを走らせ、後に「ブラスレイター」を作り上げることとなる。

*3:モロそうなのが『マクロスプラス』。「メガゾーン」で原画をやっていた庵野氏の『エヴァ』もそうかな。

*4:同時期にWOWOWでやっていた新房監督の『ソウルテイカ―』、OVAでは『フリクリ』がデジタル制作アニメの理想形を提示しようとしていましたが…

*5:セル画で『犬夜叉』作ってた頃までのサンライズは特効としてのCGを志向していて、それが今の『00』のGN粒子の表現に行きつくわけです。

*6:アルジュナ』の意義をもう一つ挙げておくと、『喰霊-零-』とか『屍姫』といった、リビングデット(生きる屍)・ヒロインものをやっちゃってるところだよ。

*7:ゴンゾはデジタル制作アニメの可能性を一社であれやこれややろうとしたのが拙かったんだろうなぁ。それがなかったら、『Genji』の着物表現が無かったわけだが。