『イヅチ―奇襲の週末』編。
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井土紀州監督作品の関西上映イベント(「シネマの不意撃ち」等)で三日かけて8作品を鑑賞。
『第一アパート』(1992)
「ねじ式」+「イレイザーヘッド」な「混ぜるな危険」映画。
終盤の、ちあきなおみの曲の変調と「モノ」的な映像展開が合わさって立ち現れてくるものは、まさしく「映画的」と呼ばざるを得ない!
かんしゃく玉がぱらぱら落ちるシーンは、ムーンライダーズ『夏の日のオーガズム』のジャケットからの引用だろうか?
『百年の絶唱』(1998)
「第一」よりもホラーとしての完成度が上がった映画。
この映画には、映画の世界に飲み込もうとするおぞましい力のベクトルが確実にスクリーン上に召還される現実がある。
『ヴェンダースの友人』(2001)
シネフィルを超えた「映画獣」山本均の再会と、対話の映画。
あまりにもヴェンダース映画的な吹田市へ向かうハイウェイと、「天使」山本均が登場する冒頭と、けりのつかない対話から共に疾走するように山本均がランナーを見つめる様は印象的。
『LEFT ALONE 1,2』(2005)
映画冒頭でインサートされるレーニンの写真がスターリンの捏造によって、傍らにトロツキーがいる/いない の二つの「事実」が生み出されたように、映画も二部に分裂し、本編の対談を活字化した関連本も鎌田哲哉の柄谷(NAM)批判から二分したりと不思議な因果がある映画。
二分された「事実」がどちらかが正しいかを判断するのではなく(捏造される「事実」にも、イデオロギーをもって「現実」に働きかけていたことを忘れてはならない)、それらが「廃墟」としてある「現実」に歩み寄ることで至る「ゼロ年」をスガ秀美を通して描く。
『ラザロ -LAZARUS-』(2007)
「蒼ざめたる馬」「複製の廃墟」「朝日のあたる家」の三篇からなる、〈インディペンデント・プログラムピクチャー〉。
「蒼ざめたる馬」は井土がリスペクトする『必殺仕置人』のオマージュが上映時間(40分)からして濃厚で、金持ちの青年たちを騙す女ギルトが騙したやつを殺したところから始まり、社会を怨むリーダーのマユミと騙したやつのひとりに情をもったリツコが対立する。
「複製の廃墟」は贋金をばら撒くマユミと印刷屋の娘:ナツエの共生、彼女たちを追う若い刑事と老刑事の敗北が描かれる。贋金をばら撒くマユミのシーンは、どうしようもない憎悪を本編中に積み立てる。
「朝日のあたる家」はマユミ・ビギニング。廃墟の商店街と過疎の海辺で練成されるマユミの原型となる直子の「もの」としての叫びが鮮烈。