足軽先生お待ちしております(教授的な意味で)。

2007年はポッドキャスト、RHYMESTARというものにふれた年でした。

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルポッドキャストいとうせいこうVS宇多丸対談」
前編TBSラジオクラウド
後編TBSラジオクラウド



今回リンクしているものは、RHYMESTAR宇多丸と日本の音楽界にHip Hopを持ち込んだ「解体屋」いとうせいこう氏の濃密な対談。(TBS RADIOのポッドキャストは毎日混雑しているので、根気よくクリックしてくださいな)
「いとう老人」に容赦なく宇多丸が特攻しているのが、微笑ましいですね。

さて、この対談で興味深い発言がどんどん出てきます。

纏めてみれば、
「ヒップ・ホップは「発明」のセンスである」
「ヒップ・ホップのスピリットがない音楽、文学、映画、芸術は受けつかなくなっている」
「ただスクラッチがあれば、韻を踏めばラップになるなんて思うなよ」
「先人たちの面白さをめぐり合えてたときに、自分というものが立ち上がってくるんじゃないか」
「印籠にもあるんだぜ(笑)、「とりあわせ」というヒップ・ホップのスピリットが」

ヒップ・ホップって今でこそ「music」として「大衆化」しておりますが、ルーツはWASPに虐げられた黒人(アフロ)の文化圏にあり「海外でMCが出始めた頃、音楽イベントでミュージシャンとして彼らは扱われなかった」と話題が出るように、「赦されざるもの」の音楽だったわけです。

「赦されざるもの」だからこそ、世の中を愉しくサバイブするために相手と相手をつなぐ「発明」を生み出す必要があった。

いとうせいこう氏が口を酸っぱくして、今のエンタメに、RHYMESTARのリリックで喩えるなら、「愛だ恋など全部がらんどう」(『肉体関係 part2』)と看破し啓蒙人=「いとう老人」を振舞うのは、大衆化、つまり「俗情との結託」(大西巨人)の果てに「赦されざるもの」の記憶の忘却を恐れているわけです。伝統・著作権といった「技術」による、「発明」の隠蔽……

要するに、伝統という「赦し」の中では良いものは生まれず、良いものは朽ちていくわけですよ。
「赦されざるもの」であるための、スピリット磨かなきゃいかんわけ。

おまけ
足軽先生」こと、いとう氏参加。

RHYMESTARとモー娘。