アニメ化とは何ぞや。

アニメージュ 2008年 03月号 [雑誌]

アニメージュ 2008年 03月号 [雑誌]

Newtype (ニュータイプ) 2008年 03月号 [雑誌]

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《 『鉄腕アトム』からTVアニメはずっと、マンガ原作をアニメにしています。だから「マンガそのままアニメにする」というと「普通にやっていることじゃないの?」と感じるのかもしれないけれど、実際はそうじゃないんです。
 マンガをアニメ化するときには、当然だけれど、絵柄もキャラクターも、美術を含めて、アニメにするために作り直しているんです。マンガのムードを基本にしてアニメ世界を作るのが、アニメ化という仕事なんです。》 アニメージュ 2008年3月号 「ギサブローのアニメでお茶を」より
《 小黒祐一郎 ――『ネギま!?』はご自身(大沼心)の中でどういった作品なんですか。出来が悪いということではないんですが、『ぱにぽに』等に比べると、どこかスカッとしない印象がありましたね。
 大沼 新房さんとシャフトが作る作品は、現場がいっぱいいっぱいになるまでやるのが心情なので、『ネギま!?』も精一杯に作っているのは変わりないんです。反省点を挙げろと言われれば、もう反省点は見つけてはいるんですけど……どういえばいいんでしょう。自分が分析したのは、これは先ほど言ったゲームとか漫画とかアニメの垣根が低くなってきているという事の一つでもあるんですけど、原作の「(魔法先生)ネギま!」凄くアニメ的だと思うんですよね。作り方もアニメ的で、赤松(健)さんを監督的な作家だと思っているんですよ(注……原作者の赤松健は、スタジオ形式の分業制、3Dソフトの導入など、合理化された漫画製作を行っている)。アニメに近いものを、アニメに落とし込むって、実は大変で。それに対する手立てを、上手く取れなかったっていうのが反省点の一つです。
 小黒 ああ、なるほど。原作がアニメ的であるために、逆に、アニメ化される事にわくわくしないわけですね。》 アニメージュ 2008年3月号 「この人に話を聞きたい」より
《 さて、ドラマを展開するには、まずそこに「時間」と「空間」が確固として存在することが前提となる。そうでなければ、読者はそこでなにが起こっているのかを信用することはできない。そしてドラマを根拠付けるためにキャラクターには「内面」も欠かせない。このフィクションの中で仮構された時間と空間と内面のことを、「リアリティ」と呼ぶ。
 アニメも漫画も深化の過程で、時間と空間と内面をどのように獲得・表現するかという課題に向き合ってきた。だが、ドラマが不在であれば、時間も空間も内面も不要。原作「絶望先生」は、空間も内面はいさぎよく捨て去り、時間についても、セリフのテンポのコントロールをのぞけば、さほど強く意識をしていない。
 だが、アニメではそうはいかない。キャラクターが腕ひとつ動かすだけで、時間は流れてしまうし、背景を描かなければならない以上、空間だって意識しなければならない。そして、空間と時間が生まれてしまうと、視聴者は無意識のうちに「内面」もまた求めてしまう。ネタの連射砲だけでは、"何かもの足らない"と感じてしまうのだ。
 前作「さよなら絶望先生」は、この漫画とアニメの間にあるギャップに対して、非常にオーソドックスなアプローチで対処しようとした。原作のエピソードを比較的忠実に追い、そこではキャラクターの感情にもある程度考慮しつつストーリーを進めていく。これはこれでアニメ化の王道スタイルではあった。》 Newtype 2008年3月号 「アニメの門」より